オリジナルの境界線

※特定の職業に対する偏見が含まれています。ご注意下さい。
※文章に慣れた方なら、2,3分ほどで読めてしまう程度の文章量です。

 

 最近、副業として『シナリオライター』を名乗っている。

 最初は、完全にお遊びで名刺を作ってみただけだった。
 あくまでも、自分の本筋は『誰も作ったことがないものを作り出す』ことだと考えていたからだ。

 ちなみにだが、私の考える『シナリオライター』像。
 一般の諸兄が考えているものと一致しているかはわからないのだが。
 私としては、『プロ』として『自分の中から湧き上がるものを形にするのではなく、他者から求められるストーリーを形にする人』ということになっている。

 しかして、この『シナリオライター』という肩書き。
 こういう体験は初めてなので、自分でも少々驚いているのだが。
 名乗ってみると、後から実態が付いてきた。

 ひとまずは、昨今需要の多い、スマホゲームのシナリオを担当してみた。
 業界の世相に明るい方であればご存知のこととは思うが、大量生産が常である。
 当然、ゼロからゴールまで繋がる話を一々考えていたのでは、追いつかない。

 そこで私は、ゼロ出発にならないように、構想を練る最初の段階は、相手に徹底的に作業を丸投げした。
 「どういった物語を、今求めておられますか」と。

 その人の話す内容を逐一メモに取り、脳内で類似の作品を検索する。
 時には、「今考えている話と似た、何か好きな作品はありますか?」とか「その作品をイメージする時に脳内に流れている音楽は?」などと聞いてみたりして、感性のズレを修正したりしながら。

 ゼロ出発の状態を脱し、ある程度の屋台骨が出来上がってから、創作に取り掛かる。

 そこからは、なんの苦労もなかった。
 私がやることは、固まったイメージに沿ったプロットを構築し、キャラクターを作り出すだけだったからだ。
 あとは、そのキャラクターたちの動きをなぞれば、勝手に話が膨らんでいく。
 展開に詰まるようであれば、話し合いの際にメモを取った中にある作品を見れば事足りる。
 もうそこに、展開のヒントがいくらでも転がっているからだ。

 そんな風に、創作をしてみて。
 だいぶ、肩の力が抜けたように思う。

 『オリジナル』という名の間違った価値観に、一体どれほど縛られていたのだろうか、と思う。

 次から次へと、自分の主観では『完全オリジナル』な作品を生み出していた頃の自分からすれば、「なんだよそんなの。パクリじゃん」という一言で、切り捨てていたであろう行為。
 それが、不思議と心地良い。
 まるで昔から、こうやって作品を作っていたかのように、手に馴染む。

 過去の、その立ち位置から抜けだして、「これだって立派にオリジナルだ」と思いながら、自分の作った作品を眺めている、今の私。
 これも実力の成せる技なのかな、なんて思ったりもする今日この頃である。

 

空沢綾文 2016年9月6日 30歳の朝に、自宅にて。

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